大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和44年(あ)164号 決定

本籍および住居

岐阜県瑞浪市土岐町六番地の二

会社役員

加藤孝之

大正九年一月一〇日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和四四年六月二六日名古屋高等裁判所の言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があつたので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人平塚子之一の上告趣意は、単なる法令違反の主張であつて、刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よつて、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 岩田誠 裁判官 入法俊郎 裁判官 長部謹吾 裁判官 大隅健一郎 裁判官 藤林益三)

○昭和四四年(あ)第一六五四号

被告人 加藤孝之

弁護人平塚子之一の上告趣意(昭和四四年九月一〇日付)

原判決は公訴事実のとおり事実を認定し被告人に対し懲役六月および罰金一〇〇万円に処し懲役刑について三年間執行を猶予する旨言渡したが第一審判決を認容し控訴棄却の判決を言渡した。

しかしながら原判決は以下開陳する理由により判決に影響を及ぼす法令の違反があつて原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認められ不当であるから破棄を免れないと思料する。

第一、第一審、原判決の要旨と問題の所在

一、第一審判決の要旨

第一審判決は罪となるべき事実として

「被告人は中部観光株式会社へ資金を貸付けるに当りその利息収入に対する所得税を免れようと企て右会社に依頼して貸付名義を丸山とか曾根或は端山の架空人として受取利息を架空人名義で銀行に預金してこれを隠匿するなどの不正の方法により

第一、昭和三八年の総所得金額が九、九五四、四三四円でこれに対する所得税額は三、六八二、九五〇円であるのに昭和三九年三月一六日所轄多治見税務署長に対し同年度の被告人の総所得金額が一八三万円にして之に対する所得税額が四三、九五〇円である旨虚偽の所得確定申告書を提出しもつて同年度の所得税三、六三九、〇〇〇円を免れ

第二、昭和三九年度の総所得金額が五、三六〇、三三二円でこれに対する所得税額は一、五一七、五八〇円であるのに同四〇年三月一五日所轄多治見税務署長に対し同年度の被告人の総所得金額が一、四一五、〇〇〇円にしてこれに対する所得金額が一一、七五〇円である旨虚偽の所得税確定申告書を提出しもつて同年度の所得税一、五〇五、八三〇円を免れ

たものである」としたのである判文上は明瞭にされていないのであるが右の計算関係は起訴状に明示されている如く被告人の所得区分は改正前の所得税法第九条第一〇号のいわゆる雑所得と認定されこれに基く所得税を免れたものと認定されていること右判決書の全体を通読すれば明瞭であるのである。

これに対し弁護人は被告人の昭和三八年及三九年の両年度における各所得中逋脱したと称せられる中部観光株式会社に対する金員貸付に基く利息収入にあたる部分がいづれも被告人の営む金融業から生じた所得でありそのことは国税庁長官基本通達九三項によつて見ても当然である。従つてこれらが昭和四〇年法律第三〇号による改正前の所得税法第九条一項四号所定の事業所得に該当するものであつて同条同項一〇号所定の雑所得に該当しないものであることはきわめて明らかであるにかかわらず原判決が不当にも右のごとき被告人の利息収入にかゝる所得部分をもつてこれを雑所得として捉えしかもそのことを前提として本件公訴事実に関して原判示の事実を認定し該認定事実につき被告人を前同法六九条一項該当の前同法違反の罪に問擬したのは右のごとき利息収入の性質を正当に把握するための前提事実に関して事実誤認の違法を冒したか又は事業所得と雑所得の意義ないしその限界に関する法令の解釈を誤つたというべきでありしかも原判決に存する右のごとき法令解釈の誤りの違法が判決に影響を及ぼすことは明かであるとして控訴に及んだ。

二、原判決の要旨

「所論は昭和三八年度及び昭和三九年度における被告人の本件利息収入がいづれも被告人の営む金融業から生じた所得であり従つてこれらが前記所得税法上の事業所得にあたる旨主張するので検討するに証拠によれば原判決も詳細に説示しているように被告人の本件各年度における利息収入はいづれも被告人の中部観光株式会社に対する金員貸付に基くものであるところまづ右の金員貸付の動機目的及び経緯等について調査してみると被告人は昭和三三年頃実兄加藤忠之の前同会社に対する貸金につき右の実兄の依頼を受けてこれが事実上の事務処理を行つていたがそのうちに自らも同会社に対して高利をもつて金員を貸付けそれによつて利益を得ようと考え自己の義弟にあたる銀行員永野智とも相談した結果同人の知人である片岡光雄より二、〇〇〇万円の現金を月三分の約束で預り同金員を右永野智と共同して利息月五分の割合をもつて前同会社に貸付けたことにはじまり爾来元金の完済も受け得られないままに貸付元金の残高を漸増させていつたもので例えば昭和三八年二月頃においては前記片岡光雄からの借入金二、〇〇〇万円をも含めて合計三、三〇〇万円にのぼる元金を前同会社に対して五〇万円ないし八〇万円を一口とし利息を月五分若しくは二分五厘期間を六〇日若しくは三〇日として貸し付けていたことが認められるので右のごとき事実関係に照らせば被告人が前同会社に対して利息収入の取得を目的として反覆継続して金員の貸付を行つていたものと認むべきことはたしかに弁護人所論のとおりであるしかしながら他方証拠によると被告人がかくのごとき利息収入の取得を目的として行つた金員の貸付先は右の中部観光株式会社(なお同会社の常務取締役には被告人と昵懇の間柄にある奥山宗雄がその地位についていた)を除いて他に存在せずしかも被告人は前同会社に対する金員の貸付又は同会社からの利息の受領にあたつて同会社と通謀のうえ同会社をしてその備付けにかかる帳簿上に被告人の氏名を一切表面に出させず終始架空名義を用いてこれを処理させていたばかりでなく更に被告人側においても右のごとき貸付元金を初めその受取利息に関してこれを帳簿に記入する等の措置をいささかも講じなかつたことまた右の貸付資金中被告人外若干名において出資設立した中商株式会社及び被告人の知人である大楽忠治からそれぞれ受け入れた金員合計五〇〇万円を除くその余の部分はすべて前記片岡光雄から預つた二、〇〇〇万円並びにその運用利息により賄われたものでありその余の第三者から調達した資金は毫も含まれていないこと。前記中部観光株式会社の経営状態が悪化した後においても同会社の要望を容れて金利を下げしかも従前と同じくすべて無担保による金員貸付を繰り返していたこと被告人は本件各貸付の当時建設業者たる加藤建設工業株式会社にその取締役として勤務していたものであつてもとより被告人自身貸金業者としての届出をしていなかつたものであること以上の各事実が認められる。

ところで金員の貸付によつて生ずる所得が所得税法上の事業所得たる金融業による所得に該当するか否かを判定するにあたつては税制特に所得税法の精神に則りそこにいわゆる事業所得性ないし事業性の概念を正当に理解することを要すると共に事業としての金融業の概念につき一般に行われているところを念頭において社会通念に照らしてこれをできる限り客観的に把握する必要がある。そのためには右の観点から貸付の動機目的貸付の相手方との関係貸付相手方の数貸付頻度貸付金額担保権設定の有無貸付資本の性質及びその調達方法利率これによる利得が総所得中に占める割合貸付のための人的物的設備の業態規模等の諸点よりできる限り多方面に総合し実態に即してこれを把握し判定することを要するものといわねばならない。そしてこれら諸点の総合的見地より本件を検討すると被告人による本件の金員貸付けには既に見たとおりの諸事実に徹し営業としての主体的な計画性や組織性企業的継続状或いは独立性が全く存しないものといわなければならず従つて被告人が社会通念事業としての金融業を営んでいたものとは到底認め難い所論は貸付金額貸付口数利率等国税庁長官基本通達のあげる三、四点のみをもつて金融業としての条件がすべて十分に明定されているとの前提に立脚するが既にその前提自体失当といわなければならないちなみに所論は本件貸付による利息収入が国税庁長官基本通達九三項(昭和二六年一月一日付)にいわゆる金融業としての事業所得の条件に該当することをしきりに強調するがかくの如き通達本来の趣旨に徴してもこれが税法の解釈の統一をはかると共に徴税事務執行の適正円滑化をはかるためのいわば内部的な処理基準としての機能をもつという意味において下部機関に対する税法実務の解釈上の一指針となり得ることはこれを否み得ないけれども右通達が所論の事業所得のいわゆる事業としての金融業を構成要件的に定義づけているものとは到底解し得ないこのことは右基本通達九三項の内容自体に徴しても明らかなところであるすなわち右基本通達はその前段において

「金融業に該当するかどうかはその口数、貸付金額、利率そのものの所得金額のうち金銭の貸付による所得の占める割合その他諸般の状況を勘案のうえこれを判定すべきである……」

としそこに一般的指針として勘案すべき諸点を例示し次いでその後段(一)において金融業に該当しない場合を(二)において該当する場合をそれぞれ一応の判断資料として例示している(傍点―弁護人)に過ぎない従つて金融業としての条件はもとよりこれに尽きるものと解すべきものではなくいわんや他の諸点を一切考慮しなくともよいとする趣旨でないことはもちろんである所論はひつきよう右基本通達に関し独自の見解に立つて原判決を非難するもの」として控訴を棄却し原判決を是認した。

三、問題の所在

第一審判決及びこれを認容した原判決は被告人の本件逋脱の対象となる所得は昭和四〇年法律第三三号による改正前の所得税法第九条第一項第一〇号にいわゆる雑所得であることを前提した公訴事実を認容したものであつてこれに対し弁護人は前掲旧所得税法第九条第一項第四号にいういわゆる事業所得と認定さるべきであると主張しているのである被告人の行為は国家税務関係の総元締と称すべき国税庁長官の金融業についての基本通達第九三項(二)に例示(原判決の使用字句)している事柄にピシヤリと当てはまつているではないかと主張しているのである而してかかる所得区分を争う実益は前掲旧所得税法第一〇条の六に定める「資産の譲渡代金の貸倒れの場合等の所得の計算の特例」の適用について差異を生ずるからなのである即ち雑所得なりとの前提に立てば第一〇条の六第一項が適用されるのであり事業所得なりとの前提に立てば第一〇条の六第三項が適用されるのである。さらにふえんするなら被告人は本件貸金により約一、五〇〇万円の利則収入を得たが元本約一、五〇〇万円が回収不能に陥つたのである所得税の本質は所得のある者から徴することにあると信ずるのに被告人は所得がなかつたことになるのではないかというのである。更に言えば本件の場合被告人に刑責があるのかそれとも刑責がないのかということに関連を投つのである。

第二、法令解釈適用の誤りの主張

一、(1) 昭和二五年法律第二一号による改正前の旧所得税法第九条第一項ではその第一号乃至第八号において利子、配当、臨時配当、給与、退職、山林、一時所得を規定しその九号で右以外の所得を「事業等所得」とする旨定めている。つまり事業所得と雑所得とは営利を目的とする継続的行為によつて生じた所得として一括して事業所得に包含されていた。ところが昭和二五年の改正でこの「事業等所得」が事業所得と雑所得に区分されたのであるがその理由は右改正において青色申告制度が新設されるに当つて同制度の対象を限定するため「事業所得」を概念的に区分する必要があつたことと地方税との関連から地方税の納付義務者の範囲を明確にする必要があつたからであるといわれている。

概念的にいうならば雑所得のうちには「営利を目的とする継続的行為によるもの」であつて事業によるもの以外が含まれることとなるのである。「事業」によるものか否かの区分は社会通念上事業と認められる客観性、社会的存在をもつているかどうかによるといわれている。

第一審弁護人からの釈明要求に対して検察官が答えられた「金銭の貸付から生ずる所得が、事業所得に該当するかどうかはその口数、貸付金額、利率、貸付の相手方、担保権の設定の有無、貸付金額の調達方法その者の総所得金額のうち金銭の貸付による所得の金額の占める割合貸付のための広告宣伝の状況その他諸般の状況を綜合勘案して社会通念上業として金銭の貸付を行なつていると認められる場合の所得は「事業所得」、その他の場合の所得は「雑所得」であると」とされているのもその趣をふえんされたものにほかならない。

しかし「事業による所得」と「営利を目的とする継続的行為によるものであつて事業によらない所得」(つまり雑所得)があり得るとしてその区分の基準が「社会通念上」事業であるかどうかというのであつて見れば社会通念ということが甚だ抽象的であり税法等具体的に国民に直接関連を持つ法概念としては捉えどころがなく洵に法的安定性を欠くこと甚しいものといわざるを得ないところである。

(2) 以上は「事業所得」と「雑所得」の概念的区別を主題として論じて来たのであるが翻つて所得税法は「事業」ということひいては「事業所得」を具体的にどのように理解しているのかは次に論究されねばならないところである。

旧所得税法第九条第一項第四号はいわゆる事業所得を定義して「商業、工業、農業、水産業、医業、著述業、そこの他の事業で命令で定めるものから生ずる所得」と為しこれを受けて旧所得税法施行規則第七条の三は「法第九条第一項第四号に規定する事業は左に掲げるものとする。

一、卸売業及び小売業

二、製造業(修理業を除く)

三、建設業(土木建築の設計監督業を除く)

四、金融業及び保険業

五、不動産業

六、運輸業、通信業その他の公益事業(倉庫業、保管業、ガス業、電気業、水道業及び衛生業を含む)

七、鉱業(土石採取業を含む)

八、サービス業(自由職業及び修理業を含む)

九、農業

一〇、林業及び狩猟業

一一、漁業及水産養殖業

一二、前各号に掲げるものを除く外対価を得て継続的に行う事業」

とされているのである。ところで旧所得税法第九条第一項第四号がいわゆる「事業所得」と称されかつ前掲同法施行規則第七条の三で「事業」を列挙し同一二号でしめくくりとして対価を得て継続的に行う「事業」としていることに徴して「事業」とは一般法令上如何なる意義として使用されているかについては一言しておかなければなるまい。「事業とは一定の目的を以つて為される同種行為の反覆継続的遂行をいうが営業及び事務と対比することによつて観念を明確にすることができるすなわち営業は営利の目的をもつて同種の行為の反覆継続して行うことをいうが事業には営利の要素は必要でなく営利の目的をもつて為されるかどうかは問わない―中略―事務という観念はかかる事業をなすに当つて反覆継続的になす個々の行為をいう」(佐藤達夫外二氏共編学陽書房版法令用語辞典第四次全訂版二五四頁)とされているのであつて事業一般としては営利は要素として不必要であるが営利事業は事業たるを失わないと謂い得るのである。

してみると前掲所得税法施行規則第七条の三第一号から第一一号までで列挙されてある各業種から抽出される性質は要するに同条第一二号にしめくくられる対価を得て継続的に行う「事業」ということに集約されるものでありその意味するところ一般法令上の用語と同一に帰着するのであつて税法が独特の意味を持たせて考えているのではないと考えられるのである。

二、ところで雑所得ということについて旧所得税法第九条第一項第一〇号は「前号以外の所得」と定めているのみで施行規則施行細則を通読してもその積極的定義付けは見当らないところである。唯所得税法の運用上の解釈通達として昭和二六年一月一日国税庁長官通達として

「雑所得は法第九条第一項第一号から第九号までに掲げる所得以外の所得であるから非事業の貸金利子(傍点弁護人)郵便年金、身許保証金の利子並に自己の庭園に生じた竹、たけのこ、まつたけ等の所得で事業所得と認められないもの等がこれに該当するものとする」(財団法人大蔵財務協会昭和三九年一月一日発行所得税取扱通達二二二頁)とあつてその趣旨とするところ一時的なものであること及び非事業の貸金利子の如く継続的であること継続的であつても比較的少額なものであつて事業と認められないことがその実質的意義であることがうかがわれるのである。

三、さて以上「事業所得」と「雑所得」の概念上の区分ということに関連して「事業所得」の特に「事業」というものの性格を究明し併せて雑所得の性格を見て来たのであるが当然の論理としてある行為の反覆継続行為が事業と認められるならそれに因る所得は「事業所得」であつてももはや「雑所得」と認める余地のないこと従来の説明により理解し得られるところである。

しからば原判決も認める如く被告人の営利を目的としてつまり対価を得て継続的に行つた被告人の行為の集積が旧所得税法施行規則第七条の三第四号の金融業に概当するのではないかということが当面の論点となる訳である。金融業に該当するとせばその所得は事業所得と認定さるべきであり雑所得と認め得ないこと先に述べたとおりである。

金融業の用語を前掲法令用語辞典一四一頁に拠れば「金融業という語は法律上しばしば用いられるがそれがどの範囲のものを指すかは法律上必ずしも一定しておらず個々の法律で具体的定義を下してその範囲を限定して用いるのが通例である―中略―一般に銀行業(相互銀行業を含む)信託業及保険業を含むことはまづ例外はないが無尽業、証券業又は貸金業を含むかどうかは場合によつて異る」となつているのであつて結局所得税法の解釈上いかなる解釈が為されるかが究極の問題であるが所得税法上でもまた同法施行規則あるいは同法施行細則でもこの解釈法条は見当らないところである。しかしながら所得税法の目的並に前掲所得税法施行規則第七条の三の事業の列挙並に同条第一二号の文言に徴するなら疑問視される前掲証券業、貸金業も亦金融業の範囲内にあるものと考えられるところである。被告人の行つた行為は営利の目的をもつてする貸金の継続的行為であつたことは明らかなのであるからそれは貸金を事業としたのか否かということが残された問題点である。

被告人の行つた営利の目的をもつてする貸金の継続的行為を「事業」と見るか見ないかそれは社会通念によるというのであつて見れば社会通念として事業と見るか否かは立場立場による見解に差異があること当然であるから、いわゆる水掛論争として際限がないといわねばならないのである。

四、ところで現在の税務行政は「通達行政」と比喩されるほど法令の解釈から事務の取扱方針まで極めて多くの通達によつて運営されていること周知のとおりであつて先に述べた雑所得の概念の通達等がその通例である。

而して或る金融の仕事を継続して実行している人物の行為を事業と見るか非事業と見るかは概念上の区別は社会通念によるとすること前来記述したとおりであるがこの社会通念の解釈というか、かくの如き要素の見られるときは金融業と見るべきだとする解釈通達が昭和二六年一月一日以来所得税法に関する基本通達として発出されているのである。即ちそれによれば「金融業に該当するかどうかはその口数、貸付金額、利率、その者の総所得金額のうち金銭の貸付による所得の金額の占める割合その他諸般の状況勘案のうえこれを判定すべきであるが次のような場合は次によるものとする。

(一) 親せき、友人等特殊の関係にある者のみに貸付けている場合は金融業に該当しないものとする。但しその金額が多額(おおむね五〇万円以上)に上る場合はこの限りでない。

(二) 転貸の目的で他人から借入れた資金を貸付けている場合は金融業に該当するものとする。」

(前掲所得取扱通達集第一五四乃至一五五頁)とされているのであつてこの通達は二つのことの解釈を指示しているのである。その一は貸金業が金融業に含まれるものであること。その二は親戚、友人のみえの貸付でも五〇万円以上貸付けているときは社会通念上事業と認むべきこと他人から資金を借り入れて貸付けているときは社会通念として絶対的に金融業と認むべきことを指示しているのである。

思うに税務官庁において訓令、指令、示達、通牒、通達、回答などの名称をもつて発出されるいわゆる取扱通達は国家行政組織法第一四条第二項に法的根拠を有するものであつて税務官庁の系統的組織内において租税法規、財政会計法規、行政組織法規と共に具体的な執務の基準を示すことを目的として出されているもので、法令として上級機関から下級機関を拘束するものとして出されているものに属しないから一般の第三者即ち国民あるいは裁判所に対しては勿論法的拘束力を有することはない、しかしながら純然たる税務官庁自体の事務規程としての取扱通達はともかくとして右に掲記した通達は一般に公然と公開されており一応その通達に依拠して実務を処理して十数年を閲している現状である以上納税者その他外部部関係者と交渉をもつ事項特に本件右通達の如き租税法の具体的解釈を内容としているものなどについては租税法規の補充としてそれ自体事実上規範的性格を有する面がありこの事実上の取扱いが一般の法的確信を得て慣習法たる行政先例法として認めらるべき場合があり得ることは何人も肯認せざるを得まいと確信する。

右の社会通念というあいまいな概念を決定づける通達事実が存在している以上その通達が特段の非合理的要素を含まない限り裁判所の法の適用も亦自ら制限を受けるものと確信するところである。而して右の通達に示されている事項は金融業という事業についての解釈について最高当局である国税庁長官が通達の形式を採つて解釈を与えたものであり換言すれば事業とされる金融業の社会通念を決定したものと考えられそしてまたこの社会通念を決定づける通達の趣旨は合理的であつて何等法理念違反または非合理的要素を含んでいないと信ずるのである。

五、国税長官は昭和四四年一月三一日「所得税法に関する当面の取扱いについて」と題する一連の新しい通達を発出したがそのうちの一つとして(金銭の貸付けから生ずる所得が事業所得であるかどうかの判定)は「金銭の貸付け((手形の割引譲渡担保その他これらに類する方法による金銭の交付を含む以下この項において同じ))から生ずる所得が事業所得に該当するかどうかはその貸付口数、貸付金額、利率、貸付けの相手方、担保権の設定の有無、貸付資金の調達方法、貸付けのための広告宣伝の状況、その他諸般の状況を綜合勘案する」とした通達を発出したこの通達はさきに掲げた金融業についての昭和二六年一月一日の基本通達即ち「金融業に該当するかどうかはその口数、貸付金額、利率その者の総所得金額のうち金銭の貸付による所得の金額の占める割合その他諸般の状況を勘案のうえこれを判定すべきであるが次のような場合においては次によるものとする

(一) 親せき友人等特殊の関係にある者のみに貸付けている場合は金融業に該当しないものとする、但しその金額が多額(おおむね五〇万円以上)に上る場合はこの限りでない。

(二) 転貸の目的で他人から借入れた資金を貸付けている場合は金融業に該当するものとする」(前掲所得税取扱通達集一五四頁)

と衝突乃至は喰い違うことにもなるので二六年の一月の古い通達は前示四四年一月三一日附をもつて廃止されたところである。しかしながら新通達が発生されるまで既出通達は十数年間行政先例として生き続けていた筈であり本件被告人の行為が昭和三九年、四〇年の行であつて見れば右の新通達が行為に逆上つて適用される筋合でないと考えられるのである。勿論通達は通達であつて法そのものであり得ないのであるけれども通達が一般に公然と公開され税務署長等の下部機関が一応その通達に依拠して十数年もの間実務を処理していた現状である以上納税者その他外部関係者に交渉をもつ事項特に本件通達の如きは租税法の具体的解釈を内容としているのであるから租税法規の補充としてそれ自体事実上規範的性格を有しているのであり行政先例として作用していたものと確信するのであるその通達が特段の非合理的要素を含まない限り裁判所の法の適用に当つても自ら制限を受くべきものと確信するところである。

第一審検察官が「釈明書」において述べられていることは前掲昭和四四年一月三一日に発出された(金銭の貸付けから生ずる所得が事業所得であるかどうかの判定)についての前掲通達の文言によつておられるものの如くであり新通達を逆つて本件に適用せられるものであつて法治国家の法規解釈運用の方法としては納得し得ないところであるし、原判決が「ところで金員の貸付によつて生ずる所得が所得税法上の事業所得たる金融業による所得に該当するか否かを判定するにあたつては税制特に所得税法の精神に則りそこにいわゆる事業所得性ないし事業性の概念を正当に理解することを要すると共に事業としての金融業の概念につき一般に行われているところを念頭において社会通念に照してこれをできる限り客観的に把握する必要があるそのためには右の観点から貸付の動機、目的、貸付の相手方との関係、貸付相手方の数、貸付頻度、貸付金額、担保権設定の有無貸付資本の性質及びその調達方法、利率、これによる利得が総所得中にしめる割合、貸付のための人的物的の業態、規模等の諸点よりできる限り多面的に総合し実態に即してこれを把握し判定することを要するものといわねばならない」とされているのであるが抽象的論点よりすれば原判決の所論のごとく正に社会現象の総べてを総合勘案して判定するを要するものであろうそしてその原判決の見解によれば国税庁長官の新通達は未だ通達として不充分というのであろうか。けれども右様の原判決の見解とはかかわりなく国税庁長官通達は通達として国民の上に行政通達として否応なしにのしかかつて来るのである国民としてはこの行政通達を中心として物事を考え判断、行動して行かざるを得ないのではなかろうか。

原判決は「これら諸点の総合的見地より本件を検討すると被告人による本件の金員貸付には既に見たとおりの諸事実に徴し営業としての主体的な計画性や組織性、企業的継続性或いは独立性が全く存しないものといわなければならず従つて被告人が社会通念上事業として金融業を営んでいたものとは到底認め難い」と断定されるのであるまた国税庁長官の「右基本通達はその前段において『金融業に該当するかどうかはその口数、貸付金額、利率、その者の総所得金額のうち金銭の貸付による所得の占める割合その他諸般の状況を勘案のうえこれを判定すべきである……』としそこに一般的指針として勘案すべき諸点を例示し次いでその後段(一)において金融業に該当しない場合を(二)において該当する場合を一応の判断資料として例示しているに過ぎない従つて金融業としての条件はもとよりこれに尽きるものと解すべきものではなくいわんや他の諸点を一切考慮しなくともよいとする趣旨でないことはもちろんである」とされる然しながら右通達九三は「金融業に該当するかどうかは口数貸付金額利率、その者の総所得金額のうち貸付による所得の金額の占める割合その他諸般の状況を勘案のうえこれを判定すべきであるが次のような場合においては次によるものとする(傍点―弁護人)

(一) 親せき友人等特殊の関係のある者のみに貸し付けている場合は金融金に該当しないものとする。但しその金額が多額(おおむね五〇万円以上)に上る場合はこの限りでない。

(一) 転貸の目的で他人から借入れた資金を貸付けている場合は金融業に該当するものとする。」

となつているのであつて何人が読んでも正に断定的であるのである、而して被告人の行為は(一)による伯し書にも該当し(二)にも該当するものである正にドンピシヤリなのである、それでも金融業でないというのであろうか、被告人は兄加藤忠之の中部観光株式会社に対する金銭の貸付事務を処理しているうち自らも同会社に高利で金銭を貸付けて利益を得ようと考え自己の義弟の銀行員永野智に相談し同人の知合であつた片岡光雄から利息月三分の約束で預つた二、〇〇〇万円を利息月五分で中部観光に貸付けたのが始りで昭和三三年頃から中部観光の倒産した同三九年七月までの間同会社に対し右の二、〇〇〇万円の外被告人等が右貸付金の利息として受取つた金銭被告人の知人大楽忠治や外一ヶ所から預つた金銭等七口約三、三〇〇万円(昭和三八年二月末現在)を五〇万円乃至八〇〇万円を一口とし利息を月五分若しくは二分五厘期間を六〇日若しくは三〇日として貸付けていたことが認められるのでありこの継続的貸金による被告人の所得は昭和三八年度においては総所得九、九五四、四三四円中八、一二四、四三四円を占めその割合は実に総所得金額の八二%に達し同三九年度においては総所得五、三六〇、三三二円中三、九四五、三三二円を占めその割合は七四%に達しているのであつて両年度とも被告人の所得の大部分を占めているといつても過言ではないのである。

以上の事実をもつて前示金融業に関する国税庁長官通達に当てはめてみればいづれの点よりしても被告人の金員貸付の継続行為は被告人が金融業を営んだと見るべきであり、その金員貸付状況は国税局長官が決定した社会通念上事業として貸金業を営んだことに該当するといわねばならないと思料するところである。果して然らば被告人の所得は金融業を事業として営んだことによる事業所得であり所得税法第九条第一項四号の事業所得として計算さるべき性質のものであり絶対に同項第一〇号による雑所得として計算さるべきでないと思料するのである。

惟うに苟しく国税庁長官が金融業に対する解釈通達を出し十数年の長期に亘つてその通達に則つて行政行為が為されたについてはその通達を要する税政上の諸問題があつたものと推測されるところであるその詳細については国民に採つて不明である。その通達に従つた国民の行動が今度は金融業でないと否定された訳である一体どういうことであろうか国税庁長官は新しい通達を出して口をぬぐつているし裁判所は新しい通達の趣旨に則つては古い事件を裁く少くとも国民にはそう思えるので成程裁判所は法の解釈について国税庁長官の通達に拘泥されないであらうけれどもそれなら国税庁長官通達はどういう意味を持つのかまさか国民を愚弄するためのものではあるまいと信じたいのである、して見ると所得税に関する限り金融業の定義について国税庁長官通達は行政先例法として裁判所の独自解釈を拘束すると考えることが物事の筋道として当然であると思料するのである。

国税庁が長官通達のとおり行つている納税者を告発するということは自らの不明と不敏を国民に転嫁する以外の何物でもないのであり正義の感覚から言つて許容されないところと確信するのである。

以上縷々開陳したとおり原判決は法令解釈の違反があり原判決を破棄しなければ著しく正義に反するもので不当であるから破棄を免れないと思料する。

以上

昭和四四年(あ)第一六五四号

第一小法廷

上告趣意書

所得税法違反 加藤孝之

右者に対する頭書被告事件につき昭和四四年六月二九日名古屋高等裁判所刑事第二部が言渡した判決に対して被告人から申立てた上告の趣意は左記のとおりである

昭和四四年九月一〇日

弁護人弁護士 平塚子之一

最高裁判所第一小法廷 御中

原判決は公訴事実のとおり事実を認定し被告人に対し懲役六月および罰金一〇〇万円に処し懲役刑について三年間執行を猶予する旨言渡した第一審判決を認容し控訴棄却の判決を言渡した

しかしながら原判決は以下開陳する理由により判決に影響を及ぼす法令の違反があつて原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認められ不当であるから破棄を免れないと思料する

第一、第一審、原判決の要旨と問題の所在

一、第一審判決の要旨

第一審判決は罪となるべき事実として

「被告人は中部観光株式会社へ資金を貸付けるに当りその利息収入に対する所得税を免れようと企て右会社に依頼して貸付名義を丸山とか曾根或は瑞山の架空人として受取利息を架空人名義で銀行に預金してこれを隠匿するなどの不正の方法により

第一、昭和三八年の総所得金額が九、九五四、四三四円でこれに対する所得税額は三、六八二、九五〇円であるのに昭和三九年三月一六日所轄多治見税務署長に対し同年度の被告人の総所得金額が一八三万円にして之に対する所得税額が四三、九五〇円である旨虚偽の所得確定申告書を提出しもつて同年度の所得税三、六三九、〇〇〇円を免れ

第二、昭和三九年度の総所得金額が五、三六〇、三三二円でこれに対する所得税額は一、五一七、五八〇円であるのに同四〇年三月一五日所轄多治見税務署長に対し同年度の被告人の総所得金額が一、四一五、〇〇〇円にしてこれに対する所得税額が一一、七五〇円である旨虚偽の所得税確定申告書を提出しもつて同年度の所得税一、五〇五、八三〇円を免れ

たものである」としたものである判文上は明瞭にされていないのであるが右の計算関係は起訴状に明示されている如く被告人の所得区分は改正前の所得税法第九条第一〇号のいわゆる雑所得と認定されこれに基く所得税を免れたものと認定されていること右判決書の全体を通読すれば明瞭であるのである

これに対し弁護人は被告人の昭和三八年及三九年の両年度における各所得中逋脱したと称せられる中部観光株式会社に対する金員貸付に基く利息収入にあたる部分がいづれも被告人の営む金融業から生じた所得でありそのことは国税庁長官基本通達九三項によつて見ても当然である。従つてこれらが昭和四〇年法律第三〇号による改正前の所得税法第九条一項四号所定の事業所得に該当するものであつて同条同項一〇号所定の雑所得に該当しないものであることはきわめて明らかであるにかかわらず原判決が不当にも右のごとき被告人の利息収入にかゝる所得部分をもつてこれを雑所得として捉えしかもそのことを前提として本件公訴事実に関して原判示の事実を認定し該認定事実につき被告人を前同法六九条一項該当の前同法違反の罪に問擬したのは右のごとき利息収入の性質を正当に把握するための前提事実に関して事実誤認の違法を胃したか又は事業所得と雑所得の意義ないしその限界に関する法令の解釈を誤つたというべきでありしかも原判決に存する右のごとき法令解釈の誤りの違法が判決に影響を及ぼすことは明かであるとして控訴に及んだ

二、原判決の要旨

「所論は昭和三八年度及び昭和三九年度における被告人の本件利息収入がいづれも被告人の営む金融業から生じた所得であり従つてこれが前記所得法上の事業所得にあたる旨主張するので検討するに証拠によれば原判決も詳細に説示しているように被告人の本件各年度における利息収入はいづれも被告人の中部観光株式会社に対する金員貸付に基くものであるところまづ右の金員貸付の動機目的及び経緯等について調査してみると被告人は昭和三三年頃実兄加藤忠之の前同会社に対する貸金につき右の実兄の依頼を受けてこれが事実上の事務処理を行つていたがそのうちに自らも同会社に対して高利をもつて金員を貸付けそれによつて利益を得ようと考え自己の義弟にあたる銀行員永野智とも相談した結果同人の知人である片岡光雄より二、〇〇〇万円の現金を月三分の約束で預り同金員を右永野智と共同して利息月五分の割合をもつて前同会社に貸付けたことにはじまり爾来元金の完済も受け得られないままに貸付元金の残高を漸増させていつたもので例えば昭和三八年二月頃においては前記片岡光雄からの借入金二、〇〇〇万円をも含めて合計三、三〇〇万円にのぼる元金を前同会社に対して五〇万円ないし八〇〇万円を一口として利息を月五分若しくは二分五厘期間を六〇日若しくは三〇日として貸し付けていたことが認められるので右のごとき事実関係に照らせば被告人が前同会社に対して利息収入の取得を目的として反覆継続して金員の貸付を行つていたものと認むべきことはたしかに弁護人所論のとおりであるしかしながら他方証拠によると被告人がかくのごとき利息収入の取得を目的として行つた金員の貸付先は右の中部観光株式会社(なお同会社の常務取締役には被告人と昵懇の間柄にある奥山宗雄がその地位についていた)を除いて他に存在せずしかも被告人は前同会社に対する金員の貸付又は同会社からの利息の受領にあたつて同会社と通謀のうえ同会社をしてその備付けにかかる帳簿上に被告人の氏名を一切表面に出させず終始架空名義を用いてこれを処理させていたばかりでなく更に被告人側においても右のごとき貸付元金を初めその受取利息に関してこれを帳簿に記入する等の措置をいささかも講じなかつたことまた右の貸付資金中被告人外若干名において出資設立した中商株式会社及び被告人の知人である大楽忠治からそれぞれ受け入れた金員合計五〇〇万円を除くその余の部分はすべて前記片岡光雄から預つた二、〇〇〇万円並びにその運用利息により賄われたものでありその余の第三者から調達した資金は毫も含まれていないこと。前記中部観光株式会社の経営状態が悪化した後においても同会社の要望を容れて金利を下げしかも従前と同じくすべて無担保による金員貸付を繰り返していたこと被告人は本件各貸付の当時建設業者ある加藤建設工業株式会社にその取締役として勤務していたものであつてもとより被告人自身貸金業者としての届出をしていなかつたものであること以上の各事実が認められる

ところで金員の貸付によつて生ずる所得が所得税法上の事業所得たる金融業による所得に該当するか否かを判定するにあたつては税制特に所得税法の精神に則りそこにいわゆる事業所得性ないし事業性の概念を正当に理解することを要すると共に事業としての金融業の概念につき一般に行われているところを念頭において社会通念に照らしてこれをできる限り客観的に把握する必要がある。そのためには右の観点から貸付の動機目的貸付の相手方との関係貸付相手方の数貸付頻度貸付金額担保権設定の有無貸付資本の性質及びその調達方法利率これによる利得が総所得中に占める割合貸付のための人的物的設備の業態規模等の諸点よりできる限り多方面に総合し実態に即してこれを把握し判込することを要するものといわねばならない。そしてこれら諸点の総合的見地より本件を検討すると被告人による本件の金員貸付には既に見たとおりの諸事実に徹し営業としての主体的な計画性や組織性企業的継続状或いは独立性が全く存しないものといわなければならず従つて被告人が社会通念上事業としての金融業を営んでいたものとは到底認め難い所論は貸付金額貸付口数利率等国税庁長官基本通達のあげる三、四点のみをもつて金融業としての条件がすべて十分に明定されているとの前提に立脚するが既にその前提自体失当といわなければならないちなみに所論は本件貸付による利息収入が国税庁長官基本通達九三項(昭和二六年一月一日付)にいわゆる金融業としての事業所得の条件に該当することをしきりに強調するがかくの如き通達本来の趣旨に徴してもこれが税法の解釈の統一をはかると共に徴税事務執行の適正円滑化をはかるためのいわば内部的な処理基準としての機能をもつという意味において下部機関に対する税法実務の解釈上の一指針となり得ることはこれを否み得ないけれども右通達が所論の事業所得のいわゆる事業としての金融業を構成要件的に定義づけているものとは到底解し得ないこのことは右基本通達九三項の内容自体に徴しても明らかなところであるすなわち右基本通達はその前段において

「金融業に該当するかどうかはその口数、貸付金額、利率そのものの所得金額のうち金銭の貸付による所得の占める割合その他諸般の状況を勧案のうえこれを判定すべきである……」

としそこに一般的指針として勧案すべき諸点を例示し次いでその後段(一)において金融業に該当しない場合を(二)において該当する場合をそれぞれ一応の判断資料として例示している(傍点―弁護人)に過ぎない従つて金融業としての条件はもとよりこれに尽きるものと解すべきものではなくいわんや他の諸点を一切考慮しなくともよいとする趣旨でないことはもちろんである所論はひつきよう右基本通達に関し独自の見解に立つて原判決を非難するもの」として控訴を棄却し原判決を是認した

三、問題の所在

第一審判決及びこれを認容した原判決は被告人の本件逋脱の対象となる所得は昭和四〇年法律第三三号による改正前の所得税法第九条第一項第一〇号にいわゆる雑所得であることを前提した公訴事実を認容したものであつてこれに対し弁護人は前掲旧所得税法九条第一項四号にいういわゆる事業所得と認定さるべきであると主張しているのである被告人の行為は国家税務関係の総元締と称すべき国税庁長官の金融業についての基本通業第九三項(二)に例示(原判決の使用字句)している事柄に正にピシヤリと当てはまつているのではないかと主張しているのである而してかかる所得区分を争う実益は前掲旧所得税法第一〇条の六に定める「資産の譲渡代金の貸倒れの場合等の所得の計算の特例」の適用について差異を生ずるからなのである即ち雑所得なりとの前提に立てば第一〇条の六第一項が適用されるのであり事業所得なりとの前提に立てば第一〇条の六第三項が適用されるのである。さらにふえんするなら被告人は本件貸金により約一五〇〇万円の利息収入を得たが元本約一五〇〇万円が回収不能に陥つたのである所得税の本質は所得のある者から徴することにあると信ずるのに被告人は所得がなかつたことになるのではないかというのである。更に言えば本件の場合被告人に刑責があるのかそれとも刑責がないのかということに関連を持つのである

第二、法令解釈適用の誤りの主張

一、(1) 昭和二五年法律第二一号による改正前の旧所得税法第九条第一項ではその第一号乃至第八号において利子、配当、臨時配当、給与、退職、山林、一時所得を規定しその九号で右以外の所得を「事業等所得」とする旨定めている。つまり事業所得と雑所得とは営利を目的とする維続行為によつて生じた所得として一括して事業所得に包含されていた。ところが昭和二五年の改正でこの「事業等所得」が事業所得と雑所得に区分されたのであるがその理由は右改正において青色申告制度が新設されるに当つて同制度の対象を限定するため「事業所得」を概念的に区分する必要があつたことと地方税との関連から地方税の納付義務者の範囲を明確にする必要があつたからであるといわれている。

概念的にいうならば雑所得のうちには「営利を目的とする継続的行為によるもの」であつて事業によるもの以外が含まれることとなるのである。「事業」によるものか否かの区分は社会通念上事業と認められる客観性、社会的存在をもつているかどうかによるといわれている。

第一審弁護人からの釈明要求に対して検察官が答えられた

「金銭の貸付から生ずる所得が、事業所得に該当するかどうかはその口数、貸付金額、利率、貸付の相手方、担保権の設定の有無、貸付金額の調達方法その者の総所得金額のうち金銭の貸付による所得の金額の占める割合貸付のための広告宣伝の状況その他諸般の状況を綜合勘案して社会通念上業として金銭の貸付を行なつていると認められる場合の所得は「事業所得」、その他の場合の所得は「雑所得」であると」とされているのもその趣をふえんされたものにほかならない

しかし「事業による所得」と「営利を目的とする継続的行為によるものであつて事業によらない所得」(つまり雑所得)があり得るとしてその区分の基準が「社会通念上」事業であるかどうかというのであつて見れば社会通念ということが甚だ抽象的であり税法等具体的に国民に直接関連を持つ法概念としては捉えどころがなく洵に法的安定性を欠くこと甚しいものといわざるを得ないところである

(2) 以上は「事業所得」と「雑所得」の概念的区別を主題として論じて来たのであるが飜つて所得税法は「事業」ということひいては「事業所得」を具体的にどのように理解しているのかは次に論究されねばならないところである。

旧所得税法第九条第一項第四号はいわゆる事業所得を定義して「商業、工業、農業、水産業、医業、著述業、その他の事業で命令で定めるものから生ずる所得」と為しこれを受けて旧所得税法施行規則第七条の三は「法第九条第一項第四号に規定する事業は左に掲げるものとする

一、卸売業及び小売業

二、製造業(修理業を除く)

三、建設業(土木建築の設計監督業を除く)

四、金融業及び保険業

五、不動産業

六、運輸業、通信業その他の公益事業(倉庫業、保管業、ガス業、電気業、水道業及び衛生業を含む)

七、鉱業(土石採取業を含む)

八、サービス業(自由職業及び修理業を含む)

九、農業

一〇、林業及び狩猟業

一一、漁業及水産養殖業

一二、前各号に掲げるものを除く外対価を得て継続的行う事業」

とされているのである。ところで旧所得税法第九条第一項第四号がいわゆる「事業所得」と称されかつ前掲同法施行規則第七条の三で「事業」を列挙し同一二号でしめくくりとして対価を得て継続的に行う「事業」としていることに徴して「事業」とは一般法令上如何なる意義として使用されているかについては一言しておかねければなるまい

「事業とは一定の目的を以つて為される同種行為の反覆継続的遂行をいうが営業及び事業と対比することによつて観念を明確にすることができるすなわち営業は営利の目的をもつて同種の行為の反覆継続して行うことをいうが事業には営利の要素は必要でなく営利の目的をもつて為されるかどうかは問わない―中略―事務という観念はかかる事業をなすに当つて反覆継続的になす個々の行為をいう」(佐藤達夫外二氏共編学陽書房版法令用語辞典第四次全訂版二五四頁)とされているのであつて事業一般としては営利は要素として不必要であるが営利事業は事業たるを失わないと謂い得るのである

してみると前掲所得税法施行規則第七条の三第一号から第一一号までで列挙されてある各業種から抽出される性質は要するに同条第一二号にしめくくられる対価を得て継続的に行う「事業」ということに集約されるものでありその意味するところ一般法令上の用語と同一に帰着するのであつて税法が独特の意味を持たせて考えているのではないと考えられるのである

二、ところで雑所得ということについて旧所得税法第九条第一項第一〇号は「前号以外の所得」と定めているのみで施行規則施行細則を通続してもその積極的定義付けは見当らないところである。唯所得税法の運用上の解釈通達として昭和二六年一月一日国税庁長官通達として

「雑所得は法第九条第一項第一号から第九号までに掲げる所得以外の所得であるから非事業の貸金利子(傍点弁護人)郵便年金、身許保証金の利子並に自己の庭園に生じた竹、たけのこ、まつたけ等の所得で事業所得と認められないもの等がこれに該当するものとする」(財団法人大蔵財務協会昭和三九年一月一日発行所得税取扱通達二二二頁)とあつてその趣旨とするところ一時的なものであること及び非事業の貸金利子の如く継続的であること継続的であつても比較的少額なものであつて事業と認められないことがその実質的意義であることがうかがわれるのである。

三、さて以上「事業所得」と「雑所得」の概念上の区分ということに関連して「事業所得」の特に「事業」というものの性格を究明し併せて雑所得の性格を見て来たのであるが当然の論理としてある行為の反覆継続的行為が事業と認められるならそれに因る所得は「事業所得」であつてもはや「雑所得」と認める余地のないこと従来の説明により理解し得られるところである

しからば原判決も認める如く被告人の営利を目的としてつまり対価を得て継続的に行つた被告人の行為の集積が旧所得税法施行規則第七条の三第四号の金融金に概当するのではないかということが当面の論点となる訳である。金融業に該当するとせばその所得は事業所得と認定さるべきであり雑所得と認め得ないこと先に述べたとおりである。

金融業の用語を前掲法令用語辞典一四一頁に拠れば「金融業という語は法律上しばしば用いられるがそれがどの範囲のものを指すかは法律上必ずしも一定しておらず個々の法律で具体的定義を下してその範囲を限定して用いるのが通例である―中略―一般に銀行業(相互銀行業を含む)信託業及保険業を含むことはまづ例外はないが無尽業、証券業又は貸金業を含むかどうかは場合によつては異る」となつているのであつて結局所得税法の解釈上いかなる解釈が為されるかゞ究極の問題であるが所得税法上でもまた同法施行規則あるいは同法施行細則でもこの解釈法条は見当らないところである。しかしながら所得税法の目的並に前掲所得税法施行規則第七条の三の事業の列挙並に同条第一二号の文言に徴するなら疑問視される前掲証券業、貸金業も亦金融業の範囲内にあるものと考えられるところである。被告人の行つた行為は営利の目的をもつてする貸金の継続的行為であつたことは明らかなのであるからそれは貸金を事業としたのか否かということが最後に残された問題点である

被告人の行つた営利の目的をもつてする貸金の継続的行為を「事業」と見るか見ないかそれは社会通念によるというのであつて見れば社会通念として事業と見るか否かは立場立場による見解に差異があること当然であるから、いわゆる水掛論争として際限がないといわねばならないのである。

四、ところで現在の税務行政は「通達行政」と比喩されるほど法令の解釈から事務の取扱方針まで極めて多くの通達によつて運営されていること周知のとおりであつて先に述べた雑所得の概念の通達等がその通例である

而して或る金融の仕事を継続して実行している人物の行為を事業と見るか非事業と見るかは概念上の区別は社会通念によるとすること前来記述したとおりであるがこの社会通念の解釈というか、かくの如き要素の見られるときは金融業と見るべきだとする解釈通達が昭和二六年一月一日以来所得税法に関する基本通達として発出されているのである。即ちそれによれば「金融業に該当するかどうかはその口数、貸付金額、利率、その者の総所得金額のうち金銭の貸付による所得の金額の占める割合その他諸般の状況勘案のうえこれを判定すべきであるが次のような場合は次によるものとする

(一)親せき、友人等特殊の関係にある者のみに貸付けている場合は金融業に該当しないものとする。但しその金額が多額(おゝむね五〇万円以上)に上る場合はこの限りでない

(二)転貸の目的で他人から借入れた資金を貸付けている場合は金融業に該当するものとする」

(前掲所得取扱通達集第一五四乃至一五五頁)とされているのであつてこの通達は二つのことを解釈を指示しているのである。その一は貸金業が金融業に含まれるものであること。その二は親戚、友人のみえの貸付でも五〇万円以上貸付けているときは社会通念上事業と認むべきこと他人から資金を借り入れて貸付けているときは社会通念として絶対的に金融業と認むべきことを指示しているのである。

思うに税務官庁において訓令、指令、示達、通牒、通達、回答などの名称をもつて発出されるいわゆる取扱通達は国家行政組織法第一四条第二項に法的根拠を有するものであつて税務官庁の系統組織内において租税法規、財政会計法規、行政組織法規と共に具体的な執務の基準を示すことを目的として出されているもので、法令として上級機関から下級機関を拘束するものとして出されているものに属しないから一般の第三者即ち国民あるいは裁判所に対しては勿論法的拘束力を有することはない、しかしながら純然たる税務官庁自体の事務規程としての取扱通達はともかくとして右に掲記した通達は一般に公然と公開されており一応その通達に依拠して実務を処理して十数年を閲している現状である以上納税者その他外部関係者と交渉をもつ事項特に本件右通達の如き租税法の具体的解釈を内容としているものなどについては租税法規の補充としてそれ自体事実上規範的性格を有する面がありこの事実上の取扱いが一般の法的確信を得て慣習法たる行政先例法として認められるべき場合があり得ることは何人も肯認せざるを得まいと確信する。

右の社会通念というあいまいな概念を決定づける通達事実が存在している以上その通達が特段の非合理的要素を含まない限り裁判所の法の適用も亦自ら制限を受けるものと確信するところである。而して右の通達に示されている事項は金融業という事業についての解釈について最高当局である国税庁長官が通達の形式を採つて解釈を与えたものであり換言すれば事業とされる金融業の社会通念を決定したものと考えられそしてまたこの社会通念を決定づける通達の趣旨は合理的であつて何等法理念違反または非合理的要素を含んでいないと信ずるのである。

五、国税庁長官は昭和四四年一月三一日「所得税法に関する当面の取扱いについて」と題する一連の新しい通達を発出したがそのうちの一として(金銭の貸付けから生ずる所得が事業所得であるかどうかの判定)は「金銭の貸付け((手形の割引譲渡担保その他これらに類する方法による金銭の交付を含む以下この項において同じ))から生ずる所得が事業所に該当するかどうかはその貸付口数、貸付金額、利率、貸付けの相手方、担保権の設定の有無、貸付資金の調達方法、貸付けのための広告宣伝の状況、その他諸般の状況を総合勘案する」とした通達を発出したこの通達はさきに掲げた金融業についての昭和二六年一月一日の基本通達即ち「金融業に該当するかどうかはその口数、貸付金額、利率その者の総所得金額のうち金銭の貸付による所得の金額の占める割合その他諸般の勘案のうえこれを判定すべきであるが次のような場合においては次によるものとする

(一)親せき友人等特殊の関係にある者のみに貸付けている場合は金融業に該当しないものとする、但しその金額が多額(おゝむね五〇万円以上)に上る場合はこの限りでない

(二)転貸の目的で他人から借入れた資金を貸付けている場合は金融業に該当するものとする」(前掲所得税取扱通達集一五四頁)と衝突乃至は喰い違うことにもなるので二六年一月の古い通達は前示四四年一月三一日附をもつて廃止されたところである。しかしながら新通達が発出されるまで既出通達は十数年間行政先例として生き続けていた筈であり本件被告人の行為が昭和三九年、四〇年の行であつて見れば右の新通達が行為時に逆上つて適用される筋合でないと考えられるのである。勿論通達は通達であつて法そのものであり得ないのであるけれども通達が一般に公然と公開され税務署長等の下部機関が一応その通達に依拠して十数年もの間実務を処理していた現状である以上納税者その他外部関係者に交渉をもつ事項特に本件通達の如きは租税法の具体的解釈を内容としているのであるから租税法規の補充としてそれ自体事実上規範的性格を有しているのであり行政先例として作用していたものと確信するのであるその通達が特段の非合理的要素を含まない限り裁判所の法の適用に当つても自ら制限を受くべきものと確信するところである

第一審検察官が「釈明書」において述べていられることは前掲昭和四四年一月三一日に発出された(金銭の貸付けから生ずる所得が事業所得であるかどうかの判定)についての前掲通達の文言によつておられるものの如くであり新通達を逆つて本件に適用せられるものであつて法治国家の法規解釈運用の方法としては納得し得ないところであるし、原判決が「ところで金員の貸付によつて生ずる所得が所得税法上の事業所得たる金融業による所得に該当するか否かを判定するにあたつては税制特に所得税法の精神に則りそこにいわゆる事業所得性ないし事業性の概念を正当に理解することを要すると共に事業としての金融業の概念につき一般に行われているところを念頭において社会通念に照してこれをできる限り客観的に 握する必要があるそのためには右の観点から貸付の動機、貸付の相手方との関係、貸付相手方の数、貸付頻度、貸付金額、担保権設定の有無貸付資本の性質及びその調達方法、利率、これによる利得が総所得中にしめる割合、貸付のための人的物的の業態、規模等の諸点よりできる限り多面的に総合し実態に即してこれを把握し判定することを要するものといわねばならない」とされているのであるが抽象的論点よりすれば原判決の所論のごとく正に社会現象の総べてを総合勘案して判定するを要するものであろうそしてその原判決の見解によれば国税庁長官の新通達は未だ通達として不充分というのであらうか。けれども右様の原判決の見解とはかかわりなく国税庁長官通達は通達として国民の上に行政通達として否応なしにのしかかつて来るのである国民としてはこの行政通達を中心として物事を考え判断、行動して行かざるを得ないのではなかろうか

原判決は「これら諸点の総合的見地より本件を検討すると被告人による本件の金員貸付には既に見たとおりの諸事実に徴し営業としての主体的な計画性や組織性、企業的継続性或いは独立性が全く存しないものといわなければならず従つて被告人が社会通念上事業として金融業を営んでいたものとは到底認め難い」と断定されるのであるまた国税庁長官の「右基本通達はその前段において『金融業に該当するかどうかはその口数、貸付金額、利率、その者の総所得金額のうち金銭の貸付による所得の占める割合その他諸般の状況を勧案のうえこれを判定すべきである……』としそこに一般的指針として勘案すべき諸点を例示し次いでその後段(一)において金融業に該当しない場合を(二)において該当する場合を一応の判断資料として例示しているに過ぎない従つて金融業としての条件はもとよりこれに尽きるものと解すべきものではなくいわんや他の諸点を一切考慮しなくともよいとする趣旨でないことはもちろんである」とされる然しながら右通達九三は「金融業に該当するかどうかはその口数貸付金額利率、その者の総所得金額のうち金銭の貸付による所得の金額の占める割合その他諸般の状況を勘案のうえこれを判定すべきであるが次のような場合においては次によるものとする(傍点―弁護人)(一)親せき友人等特殊の関係のある者のみに貸し付けている場合は金融業に該当しないものとする。但しその金額が多額(おゝむね五〇万円以上)に上る場合はこの限りでない(二)転貸の目的で他人から借入れた資金を貸付けている場合は金融業に該当するものとする」となつているのであつて何人が読んでも正に断定的であるのである、而して被告人の行為は(一)による但し書にも該当し(二)にも該当するものである正にドンピシヤリなのである、それでも金融業でないというのであろうか被告人は兄加藤忠之の中部観光株式会社に対する金銭の貸付事務を処理しているうち自らも同会社に高利で金銭を貸付けて利益を得ようと考え自己の義弟の銀行員永野智に相談し同人の知合であつた片岡光雄から利息月三分の約束で預つた二〇〇〇万円を利息月五分で中部観光に貸付けたのが始りで昭和三三年頃から中部観光の倒産した同三九年七月までの間同会社に対し右の二〇〇〇万円の外被告人等が右貸付金の利息として受取つた金銭被告人の知人大楽忠治や外一ヶ所から預つた金銭等七口約三三〇〇万円(昭和三八年二月末現在)を五〇万円乃至八〇〇万円を一口とし利息を月五分若しくは二分五厘期間を六〇日若しくは三〇日として貸付けていたことが認められるのでありこの継続的貸金による被告人の所得は昭和三八年度においては総所得九、九五四、四三四円中八、一二四、四三四円を占めその割合は実に総所得金額の八二%に達し同三九年度においては総所得五、三六〇、三三二円中三、九四五、三三二円を占めその割合は七四%に達しているのであつて両年度とも被告人の所得の大部分を占めているといつても過言ではないのである。

以上の事実をもつて前示金融業に関する国税庁長官通達に当てはめてみればいづれの点よりしても被告人の金員貸付の継続行為は被告人が金融業を営んだと見るべきであり、その金員貸付状況は国税局長官が決定した社会通念上事業として貸金業を営んだことに該当するといわねばならないと思料するところである。果して然らば被告人の所得は金融業を事業として営んだことによる事業所得であり所得税法第九条第一項四号の事業所得として計算さるべき性質のものであり絶対に同項第一〇号による雑所得として計算さるべきでないと思料するのである

惟うに苟しく国税庁長官が金融業に対する解釈通達を出し十数年の長期に亘つてその通達に則つて行政行為が為されたについてはその通達を要する税政上の諸問題があつたものと推測されるところであるその詳細については国民に採つて不明である。その通達に従つた国民の行動が今度は金融業でないと否定された訳である一体どういうことであろうか国税庁長官は新しい通達を出して口をぬぐつているし裁判所は新しい通達の趣旨に則つて古い事件を裁く少くとも国民にはそう思えるのである成程裁判所は法の解釈について国税庁長官の通達に拘泥されないであらうけれどもそれなら国税庁長官通達はどういう意味を持つのかまさか国民を愚弄するためのものではあるまいと信じたいのである、して見ると所得税に関する限り金融業の定義について国税庁長官通達は行政先例法として裁判所の独自解釈を拘束すると考えることが物事の筋道として当然であると思料するのである。

国税庁が長官通達のとおり行つている納税者を告発するということは自らの不明と不敏を国民に転嫁する以外の何物でもないのであり正義の感覚から言つて許容されないところと確信するのである

以上縷々開陳したとおり原判決は法令解釈の違反があり原判決を破棄しなければ著しく正義に反するもので不当であるから破棄を免れないと思料する

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